子供を育てるということ。

子供を育てるということは、子供に何かを伝達していくことである。

伝達の方法はたくさんある。言葉、行動、背中など。

 

私は、子供に何を伝えればいいのだろう。

私は、自分の両親に何を伝えられてきたのだろう。

私は、その中から何を取捨選択し子供に伝えていけばいいのだろう。

 

私は、子供の頃から、勉強しなさい、勉強しなさい×100と言われ続けてきた。

私は、勉強をしなかった。

私は、勉強のできる姉にコンプレックスを抱いていたのかもしれない。

私は、なぜ勉強しなければいけないのか分からなかった。

私は、なぜいい大学にいくことが幸せなのか分からなかった。

私は、自分のやりたいことを成し遂げたことがなかった。

私は、小学生の頃姉の影響で合唱クラブにはいっていた。

私は、運動は好きだったが、あまり優秀ではなかった。

私は、合唱に没頭した。初めて居場所を感じた。

私は、私立中学受験のため、合唱を辞めさせられた。

私は、反抗できなかった。

私は、おまえは歌手になるのか?という問いに明確な答えを出せなかった。

私は、なぜ私立の中学にいかなければいけないのか分からなかった。

私は、私立の中高一貫校に入学した。

私は、テニス部に入部した。

私は、テニスに没頭した。また居場所を感じることができた。

私は、勉強はしなかった。成績は常に下から10人の中にいた。

私は、留学を強要され、テニス部を辞めた。

私は、おまえはテニスの選手になるのかという問いに明確な答えを出せなかった。

私は、なぜ留学しなければいけないのか分からなかった。

私は、なぜいい大学にいかなければいけないのか分からなかった。

私は、今全力でやりたいことをなぜやってはいけないのか分からなかった。

私は、海外に1年と少し留学した。18歳のときだ。

私は、知人もいない、言葉も通じない世界で生活した。

私は、自分を見つめなおすことができた。

私は、なんのしがらみもない外の世界を満喫した。

私は、帰国後、海外の大学に行きたいと言った。

私は、反抗することができなかった。

私は、海外の大学に行ってその後どうするんだという問いに明確な答えを出せなかった。

私は、日本のいい大学にいくことを強要された。

私は、勉強をしなかった。当然いい大学はすべて落ちた。

私は、もう勉強したくないと言った。飲食の道に進みたいと言った。

私は、小さい頃から食べるのが好きだった。

私は、留学時、海外のサービスの質の高さに感銘を受けていた。

私は、私の生きる道はこれだと初めて思った。そのとき19歳だった。

私は、今までおまえにいくらかけてきたと思っているんだという言葉に反論できなかった。

私は、そんなことを泣いて言う父親に幻滅しかしなかった。

私は、受験浪人することになった。ただ、勉強に力は全く入らなかった。

私は、決していい大学とは言えないところに1つだけ受かった。

私は、バイトに明け暮れた。大学を勝手に中退した。

私は、これ以上耐えられなかった。

私は、飲食に人生をかけようと決めていた。

 

私は、これだけは伝えたい。今一番やりたいことを全力でやりなさい。